小林さんに甦生してもらったEMPIRE(piano)は元気に御堂の廊下に鎮座しております。でも、外の風に近いので、湿気が心配です。毎日弾きこんであげたいと思いながら、どうも1日おきぐらいになってしまいます。
ほとんどないレパートリー中から、ドビュッシーの「アラベスク」とショパンの「別れの曲」と「エチュード(エオリアンハーブ)」の3曲を必ず弾きます。特に「アラベスク」は、EMPIREの音色にぴったりあっているような気がしています。哀愁のある優しい音色がなんとも言えず好きなのです。「別れの曲」は亡き母のために心を込めて弾きます。
「昭和14年、大和で四百円で、物好きなおじいちゃん(私の祖父)が「ピアノが欲しい」と言った当時10歳の晶江ママ(亡き母)のために買ったんだよ。」と、小さい頃から聞かされていました。昭和20年8月5日富山大空襲のときは、於保多町の長屋の家から、リヤカーに引かれて、田中町の親戚に疎開していたために、ギリギリのところで、戦火をまぬがれたという事でした。
でも昭和39年には、新しいピアノ(YAMAHA)がやってきて、EMPIREはほとんど弾かれなくなりました。調律もせず、映画「ステイング」のテーマソングが似合う音に変わっていってしまいした。昭和44年には、晶江ママは直腸癌で、39歳で亡くなり、EMPIREはほとんど弾かれないピアノになってしまったのです。
昭和56年には私は、大沢野町へ新しいピアノ(Kreutzer)を買い求めて嫁いだため、実家には2台のピアノを置いていく事になりました。
平成20年7月26日(土)、私は、不注意から交通事故を起こし、自分も肋骨や骨盤など骨折して、1ヶ月、日赤病院に入院しました。その時偶然にも同じ部屋になった、三輪さんは、なんと実家の祖父母や祖父母や母の事を知っておられたのです。昔の懐かしい話をたくさんした後で、三輪さんは「あなたのお母さんのピアノをなんとか修理してもらって、あなたが引き取り、お母さんの思い出と一緒にこれからずっと大切にしていったらいいわよ。」とおっしゃったのです。置き去りにしてきたピアノの事は気にはなっていたのですが、三輪さんに言われて一念発起しました。母との思い出のピアノを甦らせたい。三輪さんに出会えたのも、何かのご縁だからと・・・・。
そしてさっそく、ハーベスタの小林孝光さんに無理を承知で相談してみました。ダメで元々です。修理が可能なものなら、多少お金がかかっても是非お願いしたいと言いました。小林さんは、快く引き受けてくださいました。とても嬉しかったです。
そして一ヶ月後、EMPIREは、生まれ変わりました。「ほとんど残すところはないくらいに痛んでいた」と聞きました。そして、記念に写真もいただきました。ピアノ1台、最初から作り上げるようなものだったんだなぁと思いました。小林孝光さんだからこそ、出来たんだと思います。お忙しい中大変だったと思います。
にも関わらず「この仕事をさせてもらえい嬉しかった」とおっしゃって下さり、頭の下がる思いです。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。
今できることはなんだろう。少しでも弾き込んであげることかなぁ。そして、母との思い出を大切にしていくことかなぁと思っています。ありがとうございました。
Befor | → | After |
ペダル修理前 | → |
側面修理前 | → | 側面修理後 |
修理前 |
→ | 修理後 |
ピアノの調律とクリーニングをしてもらいました
娘が大学進学の為、実家を離れて10年。
その間、ピアノは湿気の多い部屋で放置されていました。
写真のように、本体には白いカビが覆い、内部も驚くほどカビやホコリでひどい状態で、弾ける状態ではありませんでした。
廃棄処分に近い状態と言っても過言ではありません。
ところで、ピアノが弾けるのに、憧れていた私。一曲でも好きな曲が演奏できればいいなぁと、思い切ってハーベスタさんに再生をお願いいたしました。
出来上がりは、想像以上に中も外も見違えるほどきれいで、新品同様みたいです。音の響きや鍵盤のタッチもたいへん満足のいくコンディションに仕上げていただき感激です。
あとは、自分の腕を磨くだけです。
このたびは、本当にありがとうございました。
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